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2013年3月10日 (日)

二つの記念日

027今日3月10日は東京大空襲の記念日である。昭和20年3月9日夜10時過ぎに東京、高円寺の下宿に帰宅した。大学の実験グループの一人Kh君の武蔵小山の御宅でグループの集まりがあったのだ!帰宅して暫くしたら、空襲の警戒警報が発令された。庭の防空壕に入る準備をして、待機していたら、解除になった。それで就寝したら、直後に突然空襲警報が発令された。ウーン・ウーンという不気味な警報は時に思い出す。慌てて布団を持って、防空壕に入ろうとしたら、東の空が真っ赤である。もう12時は過ぎて、10日になっていた。
大学の方向である。益々赤く染まった空は大きくなり、大火事である。
1時間ぐらいで警報は解除されたが、空はまだ赤いままである。
翌朝大学に行くべく中央線の電車に乗り込んだ。飯田橋までしか往かない。そこで下車して春日町の交差点から本郷3丁目交差点に向かう。一面焼け野原で。死体もころがっている。凄い惨状である。大学付近は幸いにも焼けていなかった。
クラスメイト10数人が集まった。Kh君も来ていた。今日は休講ということになった。学級委員のKh君はクラスの二人が下町地区に住んでいるので、安否を調べに行くということだった。
028_2私は帰宅することにしたが、電車には被災者らしい姿も見られた。それまでは空襲はあったが、一応軍需工場が目標だった。つまり荻窪の中島の飛行機工場などに大型爆弾を投下していた。
今度のは焼夷弾の一面絨毯爆撃であった。それも下町の周りを爆撃して非戦闘員を皆殺しにするという非道なものだった。これが順次中央線に沿って西へと爆撃されたのだ!
新宿、中野、次いで高円寺だよ!というビラが撒かれたようだ。高円寺の爆撃で火災が駅付近から南北に燃え広がったが、南には幅10mくらいの川のところまで燃えて、そこで止まった。私達はバケツリレーで消火する無駄なことは止めて、広場に退避していて、戻ったら、焼けずに下宿は残っていた!ラッキーだった。
爆擊は荻窪へと進んでいった。
ただそれまで食事付きの下宿だったのだが、奥さんや子供達は疎開をするので、外食にしてください!となった。その結果、南の三軒茶屋近くの友人と相部屋に移ることになった!この時の引越しの苦労は大変だった!
しかしこの10日に被災された方は死者10万人ということである。
私共としては絶対に忘れられない日である。
明日3月11日は言うまでもなく「東日本大震災」の2周年の記念日である。死者・行方不明併せて18549名、未だ住居の戻れない方が5万4千人である。何しろ9.0の大地震と原発の大事故でメルトダウンという最悪の事態なのだ!
これを忘れる日本人はいるまい。死者にたいしてはいわゆる三回忌であるが、不明の家族を抱えた方々は区切りにも踏み切れない記念日なのだ!
私は幸いにもブロック塀の亀裂だけで、未だにロープで隣家の方へ倒れるのを防いでいる。これが記念日を忘れない印になっている。
今日はチャーチル会の例会でメヂカル・センターでお花を描いた。平和な1日であった。暖かくなったが、午後から風が強くなった!写真は画題と私の作品である。

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